【出身地・師系】 東京向島/川端玉章
【略歴詳細】 15歳で川端玉章に師事する。その後東京美術学校日本画科に入学、明30年に卒業。さらにその年より3年洋画家に入り洋画を学ぶ。 在学中に第1回日本画協会展、翌年の第2回にてともに1等褒状を受け、実力を知られる。卒業後は同校の助教授として勤務、同時に島崎柳塢や平福百穂などと旡声会を結成して写実の強い作品を発表、さらに第1回文展で「無花果」が入選、東京勧業博覧会では「蝦蟇仙人」で3等を受賞する。また第5回文展「囀」で褒状を受け文部省の買上げとなり、第6回「甲ふたる馬」が政府買上げ、第7回「想思樹下杷金糸図」で2等、第8回「箇是劉家黒牡丹」が3等、そして第10回「歌神」第11回「八千ぐさ」にて連続特選を受賞する。大8年からの帝展では審査員を務め、昭5年鏑木清方、吉川霊華、松岡映丘など当時新鋭の名だたるメンバーで金鈴会を結成。 昭和6年レジオン・ドヌール勲章受賞(フランス政府より)、帝国美術院会員。 また1923年(大正13)より文部省より留学生として2年間ヨーロッパに留学し、フランス・パリなどの風景画を残す。 門下には東山魁夷等がいる。 昭32年3月24日81歳で没す。 代表作に「朝霧」「白雲」「ポポー果」「墨窯」「観賞日本絵画史」(著書本)「馬の湯」「嶺頭白雲」「早い秋の山」など多数。
〔主な作品所蔵館〕 東京国立近代美術館/京都市美術館/北海道立近代美術館/秋田県立近代美術館/松本市立美術館/富山県立近代美術館/佐久市立近代美術館/泰阜村立学校美術館など
〔印 名〕 「素明」 「素明居士」 「素明所仁」 「結城貞松」 「貞松」 「貞松之信長壽」 「蘇迷廬」 など
〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕550万
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