1652 (
承応元 )〜
1724 (
享保9 )
本名:信香、安雄 、画名:多賀朝湖(旧姓)、英一蝶
通称:治右衛門、助之進
字:君受
号:朝湖、牛麻呂、一峰山人、一閑山人、旧華堂、狩林斎、北窓翁、旧艸堂、他多数
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【出身地・師系】 大坂出身 狩野安信、松尾芭蕉
【略歴・作風など】 伊勢国亀山藩お抱え医師多賀伯庵の子として生まれるが15歳の頃に一家で江戸に移住。 江戸で狩野安信から狩野派の画技を学び、多賀朝湖と号して町絵師として活躍、その一方で暁雲の号を用いて俳諧に親しんで松尾芭蕉らとも親交、また指導を受けた。 その後、卓越した画力で町絵師として江戸中に名が広まり各大名とも親交を深めるようになって更なる活躍を示していたが1698年に柳沢吉保が出世する過程で実の娘を将軍綱吉の側室に差し出した当時の将軍家を風刺した「朝妻船の図」を描いた罪及び生類あわれみの刑(町人の分際で釣りをした事)で元禄11年に三宅島に流刑される。 綱吉没後、将軍交代の大赦により1709年に許されて58歳のときに江戸に戻り、以降、初めて英一蝶を名乗り、晩年は深川宜雲寺に居して風俗画・戯画・俳画などをよく残した。
〔主な作品所蔵館〕 京都国立博物館/群馬県立近代美術館/板橋区立美術館など
〔印 名〕 「英一蝶」 「英氏」 「北窓中隠」 「朝湖」 「一陳翁」 「薛氏君受」 「薛國球印」 「君受」 「君受氏」 「趣在山雲泉石間」 「信香之印」 「重治」 「志在青松白石間」 「聞雪」 「長煙一空」 など
〔市場評価〕★★
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