谷口香嶠
Kokyo Taniguchi

日本画

1864 ( 元治元年 )〜 1915 ( 大正4 )

本名:槌之助
通称:雅秀
号:香嶠、(別号)後素斎、羅浮山人、香案外史

【出身地・師系】
大阪和泉/幸野楳嶺

【所属・任】
京都美術工芸学校、京都絵画専門学校教授など

【主な受賞】
パリ博金賞など

【略歴・作風など】
幸野楳嶺に師事し有職故実を学び、歴史風俗画を得意とし竹内栖鳳、菊池芳文、都路華香と並び楳嶺門下の四天王と呼ばれた。パリ万博に出品し金賞を受賞、第1回文展では「山嫗」で三等を受賞し第4回より審査員も務める。
後年は京都美術工芸学校、京都絵画専門学校、両校の教授として、後進の育成にも力を注いだ。11月4日51歳で没。代表作に「羅浮」など

〔主な作品所蔵館〕
滋賀県立近代美術館/佐久市立近代美術館/飯田市美術博物館など

〔印 名〕
「香嶠画印」 「雅秀畫印」(「雅秀画印」) 「藤原雅秀」 「雅秀」 「雅秀之印」 「雅秀私印」 「槌之助」 「後素斎」 「羅浮山人」 など

〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕250万

関連: (帝技)幸野楳嶺 (帝技)菊池芳文 都路華香 (重)(帝技)(文)竹内栖鳳

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