【出身地・師系】 長崎県大村/荒木寛畝
【所属・任】 帝国芸術院会員、文展審査員、日華連合絵画展主宰
【主な受賞】 日英大博覧会金牌、セントルイス万国博覧会銀牌など
【詳細略歴】 3月15日生。明治25(1892)年に上京して荒木寛畝の門下となり翌年娘婿として二十歳で養子となり、初号の琴湖から十畝に改号する。 97年には師、寛畝や野村文挙と共に日本画会を創立し同会の中心的作家として出品する傍ら34年には東京女子師範学校の講師として絵画指導にも尽力。 また37年にはセントルイス万国博覧会にて「秋汀群鴨」が銀牌を受賞、10年には日英博覧会にて金賞を受賞、また文展では第2回から第6回新文展まで審査員を歴任し、(明34)から第8年まで東京女子高等学校師範講師を務める。また24年(第13)には帝国美術院会員に推挙。 荒木派の伝統を守った装飾的な花鳥図の更なる飛躍に貢献。 また、自らも22年には日華連合絵画展を主宰して中国、タイなどで日本画展を開催、国際文化交流にも貢献した。昭19年9月11日71歳で没した。代表作に「雨後」「深山の秋」「黄昏」「夜桜」「煙雨」など多数。
〔主な所蔵館〕 東京国立近代美術館/静岡県立美術館/新潟県立近代美術館/長野県信濃美術館/練馬区美術館/山種美術館など
〔印 名〕 「十畝」 「十畝筆止」 「木彦」 「酸竹」 「木悌」 「木悌書印」 「画竹三昧」 など
〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕370万
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