織田杏斎 Kyosai Oda
日本画
尾張名古屋の人。師、織田共樵。織田共樵の子。明治期の中京画壇を代表する一人。初め父から画技の手ほどきを受けるが、その後、独自に中国元、明、清時代の書法を研究また名家の模写などをして南画の真髄をつかむことに努め、一家を成した。〔主な作品所蔵館〕飯田市美術博物館など〔印 名〕「杏斎画印」 「杏斎」 「田放之印」 「放心水章」 など〔市場評価〕☆
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