織田杏斎
Kyosai Oda

日本画

1845 ( 弘化2 )〜 1912 ( 大正元年 )

本名:鎌吉
号:杏斎

尾張名古屋の人。師、織田共樵。

織田共樵の子。明治期の中京画壇を代表する一人。
初め父から画技の手ほどきを受けるが、その後、独自に
中国元、明、清時代の書法を研究また名家の模写など
をして南画の真髄をつかむことに努め、一家を成した。

〔主な作品所蔵館〕飯田市美術博物館など

〔印 名〕
「杏斎画印」 「杏斎」 「田放之印」 「放心水章」 など

〔市場評価〕☆


落 款 ・ 印 章







このページはフレームの一部です。検索エンジンなどでこられた方は 名鑑WEBトップページへ