1864 (
元治元 )〜
1962 (
昭和17 )
本名:甲
通称:槙太郎
字:子生
号:石隠、无悶道人、睡道人、无悶室、何遠楼、思斎堂、艸聖堂
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【出身地・師系】 讃岐国(香川県)出身
【略歴など】 幼少時より藩儒であった父の薫陶を受けて漢詩に優れ、上京後は岡倉天心らと共に東京美術学校の創立に尽力、その後同校にて漢詩文の教鞭をとるなど教育面にも貢献を残している。 また、退官後は約12年間上海に移住して商務書館の編輯を担当、帰国後は京都に居を移して講学と詩書三昧の生活に余生を送りさらに古陶磁の鑑定などにも秀でた。
〔印 名〕 「雨山」 「長尾甲印」 「石隠」 「人生能読幾多書」 「雨山書印」 「无悶人雨山」 など
〔市場評価〕☆
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