【所属・任】 赤膚焼元窯 無所属
【略歴・作風など】 赤膚焼は天正年間(1573〜1591)の頃、豊臣秀長が常滑より、陶工を招いて創業させたのが始まりで、その後、一時途絶えたが、天明年間(1781〜1788)の頃に郡山城主柳沢尭山候に招きを受けた京都の陶工治兵衛が再興、以降代々幕末まで藩候の好み物を制作。 古瀬家は初代治兵衛の本筋を受け継ぐ赤膚焼の元窯で5代の頃より尭山候の一字をとって尭三と号すようになり、現在では7代古瀬尭三として活躍中。 近代の作品では奈良画と称される絵付作品や、灰釉、白釉の伝統的な赤膚作品を展開して生活食器〜茶陶まで幅広く制作を行っている。
尚、赤膚焼元窯ということもあり、歴代統一の「赤膚山」の陶印を使用しているため、何代尭三の作品なのかは時代的な観点や、微妙に違う作域からでしか判断は難しく、困難を極める。(生没年の記載は7代尭三のもの)
〔陶 印〕 「赤膚山」
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