1616 (
明国・万歴44 )〜
1671 (
日本・寛文11 )
本名:俗姓は林氏
字:即非
号:法号に如一
|
|
【出身地・師系】 明国福建省/隠元隆埼
【略歴・作風など】 18歳の頃、黄檗山(明国福州)の隠元の下で出家得度し、その教えを受け継ぐ。 隠元が日本に渡来後、1657年に隠元に招かれて千呆性?らと共に長崎に渡来。 その後、長崎崇福寺の住職を勤め、63年に宇治万福寺に参禅、木菴性瑫とともに同寺首座を一年間務め、翌年長崎に帰国しているがその帰路に、豊前国小倉藩主小笠原忠真に招かれ、1665年福聚寺を創建・開山している。
〔印 名〕 「即非」 「即非氏」 「即非道人」 「澤如弌印」 「如一之印」 「弌文」(「一文」) 「臨濟三十三世」 「臨濟正宗」 「弌球堂」(「一球堂」) など
〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕250万
|
|