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            | 1777              ( 
              安永6              )〜 
              1839              ( 
              天保10              ) 
 本名:姓)山脇、名)丹五郎、廣成
 字:子憲、士工、鐡舟(鉄舟)、菩提
 号:自覚、東暉、既白
 
 
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                【出身地・師系】京都/(重)松村呉春
 
 【所属・任】
 
 【略歴詳細】
 呉春の弟子で四条派の絵師。京都の呉春の最古参の門人であり花鳥、山水など初期四条派の系統を受けついでいたが、呉春没後は住所を四条東洞院から嵯峨野天龍寺門前に変えてその弟子たちが互いに優劣を争うのに嫌気が差して、他の門下とは一線を画した仏画師として一家を成す。
 また、入道したとする伝は残っていないが観音大士堂を設立して読経、生涯妻子無し、不殺生に努めたとの記述が残り仏画師転身を前後して仏道に精進した生活を送ったとされている。63歳で没す。現在作品現存数は少なく希少である。
 尚、高野山龍光院の障壁画を揮毛。
 
 
 
 〔落款名〕
 「廣成為」 「東暉紀廣成」 など
 〔印 名〕
 「紀廣成」(「紀広成」) 「廣成」(「広成」) 「菩提」 「東暉盦」(「東暉庵」) 「雨華」「仙道山」「東暉庵」「五百應眞之一」など
 
 〔市場評価〕★★
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