1903 (
明治36 )〜
1991 (
平成3 )
本名:諱は巍宗
号:叱咤室
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群馬県出身 慶応大学医学部中退 師、関 精拙、岡部洪宗
臨済宗天竜寺派八代管長、天龍寺二百四十一世
はじめ、慶応大学医学部に在学していたが、当時武者小路実篤の提唱した「新しき村」運動(自由解放運動)に触発されて退学、その後1928年に岐阜瑞厳寺岡部洪宗の下で得度して仏門に入る。 30年には京都天龍寺で関精拙の下で修行を重ね、39年に天龍寺師家、46年に若くして天竜寺派八代管長に就任。 規則・宗制の改正をするなど天竜寺の経営から後進の指導まで貢献を示し、また自由奔放な禅僧として知られた。 尚、豪放な一筆書きや達磨図などの茶掛をよく残しており茶人に好まれているが、比較的多数市場に出回っている為、買い求めやすい相場で推移している。
〔印 名〕 「牧翁」 「天龍寺門」 「龍門萬仿」など
〔市場評価〕☆
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