土佐国(高知県)の焼物で歴史は古く二代藩主山内忠義(1592-1665)が藩内に独自の製陶技術が無かったことに対して大坂から久野正伯なる陶工を招いて地元の森田久右衛門、山崎平内の両家に制作させたもので以降、明治の廃藩まで両家の血脈により代々受け継がれ藩の庇護を受けて藩侯の好み物を制作。 当初は陶器のみの製作で同地の土を用いて黄色がかった発色を見せ墨絵による絵付けがされた茶陶が中心であったが1820年(文政3)ごろに窯を能茶山に移窯してからは磁器も焼成するようになり安南写し、瀬戸写しなども見られるようになる。 また、元々無印であった為、下記の印が見れるような作品は比較的若い作品であるといえる。
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