平山子龍(平山兵原)
Shiryo Hirayama
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1759 (
宝暦9 )〜
1828 (
文政11 )
本名:潜
通称:行蔵
字:子龍
号:兵原、練武堂、臥龍
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江戸出身
江戸中期の兵学者
伊賀国の忍者の末裔の家系に生まれたといわれている。 江戸の幕府学問所である昌平坂学問所にて古賀精里に儒学を学びその後独自に兵学、農政学、土木学をよく研究して著書は500巻に及ぶ。 また、武芸にも秀でており剣術、槍術をはじめ武器を持たない柔術まですべての武芸の達人であったとされ文武両道の修行にくれる毎日であったとされている。 また、本人は蝦夷地(北海道)には直接関係が無いが当時のロシア軍が蝦夷まで勢力を伸ばしてきた際にロシア勢に対抗するべく「海防問答」を著した為、間宮林蔵、近藤重蔵とともに蝦夷の三蔵(通称名の行蔵より)と称されている。
〔印 名〕 「兵原子龍」 「猶興」 「人中之龍」 「如鉄」 「運壽堂」 「運壽真人」 「子龍氏」 「萬人之記」 「東?兵家之宗」 「臥龍何人」 「堅臥不起」 「方外司馬」 「韜略三昧」 「園翰墨林」 など
〔市場評価〕☆
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