1825 (
文政8 )〜
1901 (
明治34 )
本名:聖欽
通称:俊吉
字:永弼のち正人
号:天江
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近江(滋賀県)出身 師、緒方洪庵、梁川星巌
幕末〜明治の儒学者
医学者下坂篁齋の六男に生まれ21歳のとき仁和寺宮侍医の江馬榴園の養子となり以降江馬姓を名乗る。 その後、京に出て蘭学を緒方洪庵次いで詩文を梁川星巌の門に学び維新後は明治元年に太政官史官に任せられたが辞して山中静逸らと共に私塾立命館で後進の指導に尽力した。
〔印 名〕 「江馬聖欽」 「槎客」 「天江楂客」 「得翁」 「退亨園主」(「退享園主」) 「奇装慢筆」 「聖欽之印」 「胸中丘壑」 など
〔市場評価〕☆
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