安積艮斎
Gonsai Asaka

儒学者, 書家

1790 ( 寛政2 )〜 1860 ( 万延元 )

本名:信、重信、(本姓は安藤)
通称:祐助
字:子順、思順
号:艮斎、見山楼

岩代国安積群郡山(福島県郡山市)出身 師、林述斎、佐藤一斎

幼少時より学問に興味を持ち藩校などで詩文など勤勉に励んでいたが16歳の頃上京して佐藤一斎ついで幕府御用掛けの儒学者林述斎の門下となりその後江戸神田の駿河台にて私塾「見山楼」を起こす。
その後の著書「艮斎文略」にて一躍名を馳せ43歳の頃には郷里の二本松藩の儒者として任命を受け帰国、さらに晩年には幕府からも儒者としての任命を受けて昌平学(幕府の学問所)の教授なども勤めた。
また、この間渡辺崋山ら蘭学者とも親交を厚くしており西洋学や翻訳にも長けた学者として有名でペリー来航時など初期の外交にも活躍をしめした。
門下は私塾と昌平学教授時代をあわせ2000人以上とされており中村敬宇、吉田松陰、高杉晋作らをはじめ多くの幕末著名人が艮斎の学識をたより入門している。

※よく安積良斎(あずみりょうさい)と漢字と読みを間違えるかもしれないが安積艮斎(あさかごんさい)が正式な表記なので特に検索では良と艮に注意が必要。

〔印 名〕
「艮斎」 「安積信印」 「字思順」 「安信」 「信印」 「安積艮斎字子順」など

〔市場評価〕★

関連: 中村敬宇 (重)吉田松陰 高杉晋作

落 款 ・ 印 章






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