笹島焼 Sasajima yaki
陶磁窯
文政(1804〜18)年間のころ名古屋笹島にて牧文七(文吉とも、号:朴斎)が創始した楽焼の一種で後に尾張藩の御庭焼に加わり以降2代・3代と技法を伝えたが明治新政府の廃藩置県により廃窯となる。落款ははじめ篠島としていたが2代の頃より笹島に変更した為2代と3代の区別は難しい。初代との区別は出来るが現存は少ない。
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