1807 (
文化4 )〜
1866 (
慶応2 )
本名:啓
字:士開、強哉
号:別号に雨香仙史
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摂津(大阪府)出身 師、頼山陽
高槻藩士であったが地位や名誉などと言った事に全く興味を持たず次第に漢詩の世界に傾倒するようになり頼山陽に私淑、梁川星巌・広瀬淡窓・森田節斎と交わり特に梁川星巌には何作もの漢詩を宛てており特に親交があったとされる。 七言絶句を一番得意とし尊皇攘夷を詠んだものなどを残し幕末を代表する漢詩家の一人。
※七言絶句=七文字の漢字で起承転結となる文章を作る漢詩の種類の一つ。他に五言絶句などがある。
〔印 名〕 「竹外」「臣啓」「藤井啓印」「士開」「士開氏」「三百六十日酔」「啓印」「雨香書屋」「強哉」など
〔市場評価〕★
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